必要な「きょういく」、「もの」は与えられる
先日2月23日、このブログ(2024年10月20日の記事)でも書いたことのある唐澤美和さんのピアノコンサートに行ってきました。
最後にみんなで「早春賦」を歌ったのですが、その歌詞の意味を知って、妙に感動しました。1番だけ紹介しましょう。
「春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず」
作詞者は安曇野の方だそうです。
長野県の立春以降の気候をよく表していますね。
ところが3月の声を聞き始めると、急に暖かくなってきましたね。「お天気や」ということばがあるように、天気がよくなると心もウキウキと新たな気分になってきます。
気候がよくなると、病気になりにくくなるのか、クリニックに来る患者さんも少なくなってきました。
研修医時代、「小児科は冬で食べる」ということを聞きましたが、内科医もやはり冬や逆に酷暑のころに患者さんを多く診ることになるようです。
先日、「先生、インフルもコロナも少なくなって、どうやって集客するんです?」と言ったスタッフに対し、
「必要なお金は神様が与えてくれる。経営のことは私が心配すればいいことなんだから、皆さんは悠然とニコニコして仕事をしてくれればいい。それが私の一番の望みだ」
と言い放ったことがありました。
ところが、家に帰るとそれを証明するようなことがありました。
ずっと探していたものがふと見つかったのです。左側は聖書の写経の記録です。無くしても生活に困るわけではないのですが、2014年11月から続けていて、写し終えたところを黄色に塗りつぶしていたもので、あと2年以内で完成する(聖書は全部で1189章あり、1章写すにも1日30分取り組んで3,4日かかります)予定なので、無くなると寂しかったわけでした。
右側は写真ではわかりにくいのですが、ネコの形をした醤油差しです。千葉のSAで買った記念品なのですが、何ヶ月かパッキンが見つからなかったのでした。平凡な醤油差しをスーパーかなんかで買わなければいけないのかな、と思っていたのですが、底に張り付いているのを偶然見つけたのでした。
自分の発言の裏付けが取れたようで嬉しくなりました。
表題で掲げた、「きょういく」でも、それを裏付けることがありました。教育ではなく、ひらがなで書いたのは、2024.10.20のブログ ”「長野県の健康長寿の秘訣は「きょういく」” で書いたような「今日行くところがある」ということに関することなのです。
当院の木曜日を休診日にしたのは、たいていのクリニックが週の中途を休みにしているのにならったということもありますが、開業前にアルバイトをしていたクリニックのバイトを続けるためもありました。それが、去年の11月からなくなって、木曜日が空いてしまったわけです。やろうと思えば、いろいろやることはあるのですが、人が見てないと元来の怠け者なので、ともすると昼間からお酒を飲んだり、ゲームをしたりとろくなことをしない。それを防ぐために用を作るのもしんどい。
上記は2月20日の休診日に買った推理小説のようなもの。
ゲームや飲酒するより、暇つぶしにはマシかな、と買ったもの。最初の大学、北海道大学時代も、よく徹夜で推理小説を読んだものです。
ーこう考えると定年退職後の一人暮らしのお年寄りを尊敬しちゃいます。
こういう人間だから、兼ねてから開業を手伝ってくれた業者から木曜診療を勧められたこともあって、全部を診療日にするとスタッフも面食らうだろうからと、4,5週目の木曜診療に踏み切ったわけなのでした。家族やその他の人から、「収入はどうするんだ、そんなことより新しいバイトを探せ」とせっつかれており、困っていたのでした。
ところがです。最近、バイトの話を二人の先生から持ってきていただけたのでした。
そのうちの一つをお受けすることにして、「きょういく」(今日行く)は与えられるんだな、と心底実感した次第です。
それゆえ、せっかく始めた木曜診療ですが、3月からなしになります。でも、私がのんびり看護業務をして、ゆっくり話をする牧歌的な診療も好きです。冬は混雑していたこともあり、生活習慣病の人や肥満外来の人とゆっくり話ができたのはよかったと思っています。機会があったら、そういう「のんびり診療」の日も作りたいな、と思っています。
それまで、せっかく始めた木曜診療を終了します。ごめんなさいね。