飯田で迎えたお正月
- 2023年1月1日
- 日常生活
経歴に記したように、私は8つの病院に勤務していたのですが、杏林大学病院を除いて、自宅のある東京から離れたところに勤務していました。
それでも、大晦日から1月2日までは、日当直は外していただいていました。
が、2016年の元旦の日直をしてくれる医師がいないとのことで、どうしてもと頼まれました。基本的に、日当直は断らなかったのですが、「えっ」て言っちゃいましたね。
健和会の人にはよくしていただきましたが、私生活をともにしてくれる人までは飯田にいなかったわけで、家族や昔の仲間が集まるお正月に、一人で異郷の地にいるのはあまりにも寂しく感じました。
何人かに声をかけると二人の人が飯田のマンションを訪問してくれました。
大晦日、そして元旦の0時になったとき、どど~んという音が・・・
花火でした。
日直の日の朝、矢高稲荷神社に行くと、ろうそくの火が灯されていて、お屠蘇を配っていました。
その足で、病院に行って日直を務めたわけですが、なんとお昼の日直ご飯は正月料理。
夕方には、母と妹を埼玉県から呼んでいたのですが、そのことを知っていたその頃の牛山院長が、「お家の方が来るそうだから、そろそろ上がっていいですよ」と早めに帰してくださいました。
バス停に母と妹を迎えに行き、住んでいたマンションへ案内。手作り料理を食べてもらい、ルートインに彼らを送りました。
翌朝、健和会病院や神社を案内し、バス停に送ると、バスが5台も連なっていて、見送りの人でごった返していた。
そうか、お正月には飯田の人口が一気に増えるんだなあ、と感じました。
こんなお正月も悪くないと、翌年、日当直はなかったのですが、元旦まで飯田に残ったのでした。
でも、街には家族連れが溢れている中、一人は寂しさが募ったものです。
そうか、異郷でのお正月は仕事を伴っていたから感動があったのかも知れないなあ、と感じたものです。
3月からはまた飯田で暮らすことになるわけですが、当番医になったときは、また飯田の正月を味わうことになるのでしょう。